【飛躍のヒント】#176 ことばが悪いのではありません

昨日、健常者ということばに
ついての、私の違和感を
書いたところ、3人の読者さん
より、賛同のコメントが届き
ました。

共感いただき、ありがとう
ございます!

それに励まされ、あと一回、
このテーマを扱います。

私がもう一つ違和感を感じるのが、
最近、よく目にする、

障がい者
障碍者

ということばです。

「障害者」の書替えことばとして
使われています。

ネットや新聞記事によると、
害の字にネガティブな意味が
あるので、それを避けるために、
「碍」が使われるようになり、

「碍」を常用漢字に追加して
欲しいという要望も出ている、
とありました。

私が使っている、少々古いけど
厚さ9センチの国語大辞典では、

「障害」と「障碍」が同じ項目
(単語)として出ています。

つまり、ことばとしては、
同じなのです。

どうも、障害ということばが
ネガティブなので、使うべき
ではない、と考える人が、一定数、
いるようです。

でも、わたしは、その書き替えに、
違和感を覚えます。

なぜならば、障害であることを
認め、向き合うことなく、
カモフラージュしているように
感じるからです。

偽善のニオイがします。

あなたはどうですか?

例えば、目が見えない、耳が
聞こえない、憂鬱な気分がずっと
続く、幻聴・幻覚が頻繁に起こる。

多くの人が、それほど困難なく
取っている他者とのコミュニ
ケーションが取れない。

免疫が著しく低下している。

歩けない。

そういうことって、そりゃー、
障害だよね、って思います。

かつて私は、急に、体に変調を
きたし、車いすを使ったことが
あります。

歩けるようになってからも、
歩道と車道の段差がきつい、
家の中の段差がつらい、

階段なんて、走るなんて、
とんでもない、という状態が、
しばらく続きました。

車いすを使っている皆さんの
苦労がよくわかりました。

それって、やはり、大変です。

だからといって、当時の私や、
現在、障害者手帳を持っている
人々が、害だとか、ネガティブ
だとか、劣っているだとか、

では、ないわけです。

現象としては、障害ですね。
はい、おしまい。

の世界です。

「障害」「障害者」ということばが
問題なのではなく、

誰かに対して「障害者」の
レッテルを貼って、それで
終わったり、

障害の種類や程度を深く理解する
ことなく、「障害者」と十把一絡げ
にしたり、

障害を取沙汰する必要がない
場面で取沙汰することが、

問題なのです。

「障害」「障害者」ということばを
使う必要がある時は、堂々と、
使えばいい。

必要がない時は、使わない。

それこそが、その人や、その人の
状態をリスペクトし、その上で、
人として、その人と付き合う、
ということではないでしょうか。

そういえば、ブータン。

あの国を、4回、旅して、私が
最も印象に残ったことばが、
これです。

==============
A friend with ADIS remains
a friend.

エイズの友だちは、
やっぱり友だち
==============

2004年に、ワンデューフォダン
という土地の、メインのお寺の
お祭りに行った時、

日本で言うところの、参道に
あたる道の一角で、

横断幕に、そう書いてありました。

たまたまエイズになってしまった
友だちの〇〇さんは、エイズで
あろうとなかろうと、友だち、

というメッセージです。

友だちであることが重要で、
あとは、どうでもいいのです。

なんてステキなことば。
なんてオシャレなコンセプト。
なんて先進的な国。

と、感激しました。

ではまた!

坂本 夏子

ことば屋&人事屋
LABプロファイル®
マスターコンサルタント
トランスフォメーショナル・
コーチ®