【飛躍のヒント】#175 その区分け、必要ですか?

先月、ハンザという小型ヨットの
ワールドカップが広島で開催され、
私は、通訳ボランティアとして
参加しました。

昨日、慰労会があり、行って
きました。

大会の主催者、スタッフ、選手、
家族など、大勢でした。

ハンザはユニバーサルデザインの
船で、障害がある人でも
扱えます。

レースでは、障害の有無も種別も、
ヨット歴も、年齢も性別も関係
なく、一緒に競争します。

楽しい慰労会だったのですが、
ひとつだけ、気になったことが
ありました。

スピーチで使われた「健常者」
ということばです。

「健常者も障害者も共に」と
いったように、使われていました。

「障害者」ということばは、
よく聞きますし、私も、許容範囲
の単語として使います。

身体、知的、精神の種別にかか
わらず、多くの人があたりまえの
ようにやっていることができない
のであれば、

それを、「障害」ととらえ、そう
呼ぶことは、許容範囲、と考えます。

ただ、「障害者」は、法律に決め
られた基準を満たした、身体的、
知的、精神的な特徴がある、
というだけのことであり、

便宜的に使うことはあっても、
誰かに対して「障害者」という
レッテルを貼ることを、私は、
したくありません。

なので、必要に応じ「障害者手帳
を持っている人」や、
「手帳ホルダー」と言い換え
ますし、

「障害」ということばを使わず、
目が不自由、教室でじっとして
いられない、腎臓の透析を
している、など、特徴を具体的に
述べます。

また、そういった事情のない人の
ことを「特段の障害のない人」と
表現することがあります。

では、「健常者」はどうで
しょうか?

健やかで常である者、という
ことばです。

仮にあなたが障害者手帳を持って
いないとして、あなたは、
常に健やかですか?

私は、障害者手帳を持っていま
せん。そして、健やかでない時
なんて、いくらでもあります。

知的障害者の中には、ものすごく
緻密な絵を描く人や、たぐいまれ
な記憶力があり、一度見ただけの
景色を、そっくりそのまま、写真
のように描く人もいます。

手と足とあごを駆使して、ハンザ
を操船し、スマホをいじる人も
います。

私にはとてもできません。

その分野では、彼らの方が、
私より何百倍も才能豊かです。

なので、彼らは障害者で、
自分は健常者と認識するのは、

違うだろ!

と思うのです。

健常者ということばには、
多数派の「おごり」が現れて
いる、と。

人は誰でも、自分が少数派である
何かの特徴を持っています。
それは、自分のことかもしれない
し、家族のことかもしれません。

身体、知的、精神的な、
多数か少数かを、一つの線で
捉えてみて、その線の、どの
あたりにいるのか、
という違いはあっても、

黒か白か、の区分けは、
ないはずです。

そういう風に、人やものごとを
とらえると、自分や目の前の人の
可能性が、うんと広がるし、
自由が増えるのではないで
しょうか。

ではまた!

坂本 夏子

ことば屋&人事屋
LABプロファイル®
マスターコンサルタント
トランスフォメーショナル・
コーチ®