坂本夏子です。
かつて私は会社で、
海外から日本に出向してくる社員と、
しょっちゅうバトルを繰り広げて
いました。
その頃、
私にメンターのような立場で
いろんなことを教えてくれた
カナダ人がいました。
敬意をこめて、実名を出します。
ブライアンと言います。
バトルの相手と、細かい議論に
入り込みがちだった私に、
ブライアンが教えてくれた法則が、
これでした。
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Keep it short and sweet.
メッセージを短く甘くせよ。
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略して Kiss キス です。
その後、Kiss には、
short and simple = 短くシンプルに
というバージョンもあると
知りました。
いずれにせよ、物事の本質を、
誰もが理解できる短いことばで
表現し、
常に、その本質を大切にしながら、
コミュニケーションを図るように、
という教えでした。
たくさん語ってバトルになりがちだった
私にとって、ありがたい教えでした。
この夏、
私が聞いたことばの中で、
最も Kiss で感銘を受けた
ことばを、今日は紹介します。
8/9 の長崎の原爆の日における、
長崎市長のことばでした。
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原爆は「人の手」によってつくられ、
「人の上」に落とされました。
だからこそ「人の意志」によって、
無くすことができます。
そして、その意志が生まれる場所は、
間違いなく、私たち一人ひとりの
心の中です。
中略
世界の市民社会の皆さんに呼びかけます。
戦争体験や被爆体験を
語り継ぎましょう。
戦争が何をもたらしたのかを
知ることは、
平和をつくる大切な第一歩です。
全文はこちら
https://nagasakipeace.jp/japanese/peace/appeal.html
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今日は、8/15 の終戦の日。
長崎市長の「語り継ぎましょう」の
呼びかけに応じ、
私の祖父のことをシェアします。
父方の祖父は、74年前、
長崎で、今でいうところの
単身赴任をしていました。
職場近くの道を歩いていて、
被爆したそうです。
父から聞いたところでは、
祖父は、白い麻の上下の背広に、
白い帽子をかぶっていて、
それが幸いして助かった、
とのことでした。
光を少しだけ反射したんですかね。
一方、母方の祖父は、
福岡県の、かつて炭鉱で栄えた
筑豊に住んでいました。
8/9 の午前11時ころ、
福岡県南部の、JRの原田(はるだ)
という駅にいたそうです。
ラジオの放送が聞こえ、
長崎に空襲警報発令!!
とあり、しばらくして、
ブツっと音が途切れた。
この話は、母から聞きました。
以上が、私が知っている、
二人の祖父の原爆体験のすべてです。
祖父たちから、直接、聞いたことはなく、
両親から聞いただけですが、
それを知っているのと、
知らないのとでは、
大きな違いだな、と感じています。
母からは、彼女の戦争体験を
結構たくさん聞いていて、
それはありがたいですね。
戦後74年たって、直接、
あの戦争を知っている人たちは、
遠くない将来、いなくなります。
私たちは、彼らから話を聞いて、
それを伝える役割を、人類の歴史の中で
担っているのかもしれません。
語り継ぐって、やはり、
大事だと思います。
東日本大震災でも、
昔の津波の話が語り継がれていた
地域では、被害が相対的に少なかった、
と聞いたことがあります。
今の時代に生きる私は、
日本の戦国時代の戦争のことを、
歴史エンターテイメントの文脈で
捉えてしまいがちです。
あなたはどうですか?
私たちがいなくなった後の人類が、
第二次世界大戦のことを、
娯楽物語で語って欲しくないよね、
って思います。
というわけで、
もしあなたの身近に、
戦争を実際に体験した人がいたら、
話を聞いて、それを誰かに伝えて
みてはいかがでしょうか?
長崎市長が呼びかけた、
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戦争体験や被爆体験を語り継ぎましょう。
戦争が何をもたらしたのかを
知ることは、
平和をつくる大切な第一歩です。
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の実践です。
で、冒頭の Kiss に戻ると、
私は戦争反対の立場をとっていて、
その理由は、
戦争は人を狂わすから です。
敵も味方もなく。
今日は、本当は、
一泊の予定で福岡に帰省し、
親の話を聞くつもりだったのです。
台風でそれができなかったので、
ここで語ってみました。
ではまた!
PS:
そういえば、伯父の被爆体験を、
一度、語っていました。
坂本 夏子
ことば屋&人事屋
LABプロファイル®
マスターコンサルタント
トランスフォーメショナル
コーチ®
人事コンサルタント