【飛躍のヒント】能古島(のこのしま)

坂本夏子です。

「絶対、人間は疲れる時が来る。
その時は、花」

と言って広大な花の公園を作り、
多くの人を癒している人がいます。

今日は、そんな話です。

今朝、たまたま見たTV番組、
「睦子ばあちゃんと花畑の四季~
福岡 能古島」で知りました。

能古島は、のこのしま、と読みます。
福岡市西部の渡船場から10分の、
博多湾に浮かぶ小さな島。

福岡市民の憩いの場、
といった感じの島で、私も昔、
福岡市民だった頃、行きました。

作家・檀一雄さんが
晩年を過ごした島としても
知られています。

春は黄色い菜の花、秋はピンクの
コスモスで有名なんですね。

そして私は、その島がなぜ、
花で有名なのかという歴史を
初めて知り、感慨深かったので
シェアします。

のこのしまアイランドパーク
という名の花の公園を作ったのは、
農業を営む久保田耕作・睦子さん夫妻。

二人が結婚したのは、昭和33年
(1958)。夫24歳、妻19歳。

その頃の日本といえば、
コンクリートとアスファルトの
ビルや道路がガンガンでき、
家庭には電化製品が普及していき、
人口はどんどん増え、
国全体が成長の勢いに乗っていました。

いわゆる高度経済成長の
スタートの時期です。

なのに耕作さんは、冒頭に紹介した

「絶対、人間は疲れる時が来る。
その時は、花」と言って、
サツマイモ畑を花畑に変え、
花で人々をいやす夢を語っていた
というのです。

経済成長期の国の24歳の若者が、
そんな未来を見ていたのって、
すごくないですか。

その夢を実現させ、
5000万円の借金をして、
二人がお花の公園を開業したのが、
昭和44年(1969)。

当初はなかなな人が集まらず、
周囲の人は、

「ジェットコースターもない。
観覧車もない。」

「誰がこの自然公園やらに、
お金まで払うて来るもんね」

と言います。

10年たった時点で、
地元の私鉄に経営権を譲渡するしか
ないか、という瀬戸際まで
いったそうです。

でもそこで踏ん張って、
今や休日には一日2000人が訪れ、
海外から結婚式を挙げに来たり、
東京から10年間、毎年、
家族で夏休みを過ごしに来る人がいる、
という人気スポットです。

先見の明、とか、時代を先取りする、
ということばがありますが、
まさにそれで、スゴイなって、
ただただ脱帽です。

耕作さんは、15年前に亡くなり、
今は、妻の「睦子ばあちゃん」を
はじめとする親族で公園を
運営しています。

睦子ばあちゃんが、
これまたスゴイ人で、
すべてのことに、日々感謝し、
感動しながら、

花と人を愛し・愛されながら、
笑顔で生きています。

一番、スゴイなと感じたのが、
夫が突然、亡くなった時のことば。

耕作さんは2005年1月10日、
急に体調が悪くなり、
自分で救急車を呼び、
搬送途中に意識がなくなり、
それが最期でした。

その時の睦子さんのことばが、

==========

私を助けるために
いきんしゃった。

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「いきんしゃった」とは、
福岡の方言で「いった」の敬語です。

長く患って妻の手をかけることなく、
あっと言う間に亡くなったことを、
「私を助けるために」と
表現しているのです。

夫の急逝を嘆くのではなく、
そこに意味を見いだした。

そのふところの大きさと前進力に、
この妻にしてあの夫あり
だったのだろうと感じ入りました。

朝から私はTVの前で、
涙ボロボロ、鼻ぐしゅぐしゅでした。

睦子ばあちゃんの人柄と
海の見えるお花畑の様子を、
この動画でサクッと体感いただけます。

2分30秒

https://www.nhk.or.jp/d-garage-mov/movie/41-27.html

ではまた!

坂本 夏子

ことば屋&人事屋

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