【飛躍のヒント】#136 生きる目的

前回、スマホがない!事件をお伝えしました。

それは、「あるとかないとか、こだわるな。進め~」の合図だ、

というメッセージだったのです。

では、その続き、行きますね。

長文です。

進むのはいいけど、

何のために進むのか?
どこに向かって進むのか?

これが重要なわけです。

もっといえば、

私の人生の目的は何なのか?

この問いです。

この問いかけを、昨年の後半から自分に続けていました。

これまでの人生で経験したデキゴト、
父のこと、母のこと、仕事のこと
出会った人々

よいことも、そうでないことも、etc.

そこにどんな意味があったのか? と。

そこに、私の人生の目的が潜んでいるはずだと。

あーでもない、こーでもないを続けた結果、今年の 1月に、一度、ことばが降ってきました。

独自性のある仕事をする。

一瞬、これか、と思ったのですが、

違う。

それは、how であって、what ではない。

私のWhat は何なのか?
What is my What?

問い続けた末に降臨したことばが、これでした。

===============
世の中に新しい常識を作る
===============

これだ!!!

このことば、私の感覚に、すごくフィットしました。

これが私の存在意義、Big What = Why です。

人生を振り返ると、、、

わが道を行く、というより、我が道しか行かない両親のもとに生まれ ました。

小学校に入る時、好きで黄色のランドセルを選びました。周りは、100%、女の子は赤、男の子は黒でした。

20年前、突然、病気になったときは、西洋医学では解決できそうもなく、中国3000年の哲学思想に基づく、中医学に飛び込みました。

陰陽の世界で、蛭だ、みみずだ、鹿だ、亀だ、とりかぶとだ、石膏だと、面白いものがバンバン入った、生薬を飲みました。中医学って、使えるものは何でも使え、の世界です。

中医学では、現象の真の原因は何なのか? を深く問います。そして、原因を取り除く処方によって、体のシステムのバランスを整え、現象を消していきます。

体の、こことあそこが、どうしてつながるの? と不思議に思うようなつながりを解き明かす、思想体系です。

しかも、お医者さんは、理学部物理学科 ->
メーカーの研究所 -> 医学部 ->
放射線科 -> 和漢方 -> 中医学
と渡り歩いて脱皮を重ねた、変わり種。

中国人医師も驚くほど勉強熱心な、ニッチトップの先生でした。いろんな価値観を統合して、目の前の人を見る医師に、早い段階で出会った私は「持っている」と思いました。

10年ちょっと前、高校の総合学習の時間に、単発の授業をする機会をいただいた時は、テーマはお任せします、とのことだったので、

自分の基準で生きる にしました。

暗黒の2年間という、ダメ上司を自分がやっていたこともありました。その根底では、自分で自分に怒っていました。それをどうすることもできず、怒りを特定の複数の部下に向けていました。「わかっちゃいるけどやめられない」どつぼにはまっていた時、別の部下のフィードバックがきっかけで、ようやく、そこを抜け出しました。

私にモノ申した彼に、「普通、上司には、なかなかこういうこと言えないよね。よく言ってくれたね」と、言いました。ありがたくて。すると彼は、「坂本さんなら、言っても大丈夫だって思いました」と答えました。

言いにくいことを、いいやすい職場をつくる。白昼堂々、会議室で、大事なことを話し合う文化をつくる。 -- これは、私が、初めて部下を持ったときから、ずっと、自分の指針にしていたことです。あ~、それができてたんだ、やってきてよかった~、としみじみ、思いました。それまでの自分が、いざという時の自分を助けたのです。彼のひとことは、私が会社員時代に受け取ったフィードバックで、嬉しかった Top 3 の一つです。

パワハラチックな上位者に手こずり、うつの入り口にたったこともあります。

その時は、すんでのところで、泣きながら上司に助けを求め、浮上。(その話に興味のある方は、こちらへー>パワハラ&うつの危機

会社員時代の仕事で、最も、私の特徴が表れた仕事は、HIV陽性者の就労支援です。

20世紀末。

HIVは、職場では問題ない、という知識があったので、たまたま応募のあったHIV+の方を採用したところ、予想外に社内で問題が起こってしまいました。

OKなものはOK、
問題でないことを問題視しない

という、シンプルな動機で、

できることを素直にやったら、逆転満塁ホームランのような現象がおこり、あっさり解決。

その後、味をしめて、もうお一人、HIV+の方を採用すると決意。そういう方々が集まる場所にビラをまき、応募者を集め、採用しました。

これが私の、人生初のマーケティング。

就労の啓蒙活動のお手伝いもすることになり、前・日本エイズ 学会の会長から、

「HIV陽性者の就労に関し、社会に成功のモデルを作った」

とのフィードバックをいただきました。

TVに出た時は、NHKのディレクターから、「坂本さんって、ものの見方がフラットですね」とのコメント。

自分では、あたりまえにやっていたので、へー、そう見えるんだ~ って、意外でした。

その後、HIV+を開示して就職活動をする人が倍増し、職を得る人が3倍に増えたそうです。

そうこうしているうちに、会社で、もがくことが増えました。自分にとっての「あたりまえ」が、周りに通じないのです。へとへとでした。これ以上仕事を続けるためには、自分をなんとかしたほうが早い、と思い、リーダーシップを高めるための自己投資を始めました。

そして、ほどなく出会ったのが、LABプロファイル®(Language and Behavior プロファイル®)。深く人間を洞察する、戦略的コミュニケーションの手法です。

人が発する一つ一つのことばの裏に、いかに多くの情報が隠されているのかを知って、世界や人の見え方が、一変しました。

この世界がいかに多様で豊かであるかも実感しました。私の周りの人々も同じです。みんな、ありとあらゆるパターンを発動していて、だからこそ、世界が成り立つのです。

そこに気づいた時、幸せが一気に増えました。

しかも、LABプロファイル®と中医学って、人に変化をつけていく原理が似ているのです。うまくいかない原因のパターンを見つけて、逆のパターンを入れ込む処方をするという意味で。処方が、生物・鉱物か、ことばか、の違いだけです。

LABプロファイル®の恩師から、あなたたちは、世の中のほとんどの人が知らないことを知っているのだから、それを活かしなさい、と聞いたのを鮮明に覚えています。

その後、学んだことを実践で活かし、リーダーシップの次元を、さらに高めるため、自分にコーチをつけました。人生初、プロコーチのクライエントになりました。

そこでわかったのは、人は一人一人、違う ということです。それって、わかっちゃいるけど、わかっていなかったのです。それは、後述する、Diversity and Inclusion についての、私の理解を深めてくれました。

Aさんはピンク、Bさんはブルー、Cさんは、隅から隅までビッチリ、濃い群青色、などなど。その色のとおり、十人十色なのです。

それまでの私は、リーダーシップだなんだと言いながら「なぜこの人たちは、いつまでたってもこうなの?」と、部下のことを、自分の価値観というメガネで見て、判断していました。「なぜ、なぜ」で、ダメだしばかり、してたのです。

それをやめたら、あー、今日も、ピンクさんはピンクらしい仕事してるわ~、ブルーくんは、やっぱりブルーだわ。濃い群青色さん、あなたのおかげで、仕事が、隅から隅まで、もれなく、きっちり進みます、といった、感謝が激増。

LABプロファイル®とコーチングの両輪で、私はリーダーシップの階段を、一段、上りました。仕事の結果と人間関係が、ともに、変化したのを感じました。それは私が、大人として初めて、葛藤の末に自分で起こした自己変革でした。

コーチングとの出会い自体は、それよりだいぶ前の、2001年です。会社の研修で、初めて知りました。その後、自分で本を読んだり、プロコーチの研修を受けたりして、社内でコーチング研修の講師を務め始めました。産業カウンセラーの資格も取り、いわゆる 傾聴力* を鍛錬。職場では、日々、コトが起こりますので、学んだことの実践の機会は豊富でした。

(* 今は、傾聴の持つ限界と、場合による弊害に気づき、他の手法を用いた介入により、行動変容をもたらすことも多いです。)

ですが、その程度の学習では、門前の小僧の域を出ていなかったのです。

人生初のマイ・コーチのおかげで、コーチングの威力を実感したのを機会に、正式にコーチングを学び始めました。2012年のことです。社内で「プロコーチ」の旗を掲げて店開き。想定外に厚い壁だった海外の上司と、何度か談判の末、副業の承認を獲得し、社外での活動も開始しました。グローバルで活躍する先生方に師事して、現在に至っています。

リーダーシップの階段を、一段、上ると、職場で、次の課題が、うまい具合に現れました。人生って、よくできています。

そして、激動の2016年がスタートです。

アメリカの親会社が、突然、日本事業をたたむことを決めました。私は、日本の人事部長として、他の幹部と一緒に、会社を円満に閉じる仕事を、引き受けました。

2016年が、どのような年だったのか?

興味がある方は、このサイトの「お問合せ」欄からご連絡ください。当時、リアルタイムで、匿名で書いていたブログのURLをお知らせします。それ以上のことはしませんので、お気軽にどうぞ。私が、ジェットコースターのような日々に、何を、どのように行い、感じ、何を学んだのかを、お読みいただけます。

2017の春に、やり切った感を胸に、卒業。独立しました。

結果的に、50歳で、自分をなんとかすると決め、本格的な自己投資を始めてからサラリーマンを卒業するまでに、トータルで三段、リーダーシップの階段を上りました。遅いか早いかといえば、遅いかもしれません。でも、自分で決めてやった時が、自分にとって、最善の時。

振り返ってみると、世の中で、もとからそうなのだけど、まだ、常識となっていなかったことに、わりと早くから関わっていた ように思います。

別に、そこに、特段、力をいれたのではなく、ごく、自然にやっていました。

そういえば、外資系の会社に入ったのが、1986年。今でこそ、外資系も、就職先の選択肢としてあたりまえになっていますが、当時は、そうではありませんでした。あの会社を選んだことで、人種国籍性別年齢、そんなことを気にせず、自由に仕事をさせてもらいました。アメリカの会社だったので、Diversity という概念を知ったのも、早かったです。それに啓発され、学び、教え、実践し、もがき、浮上し、深め。それらすべてが、ものすごく大きな財産です。(今は、Diversity に Inclusion が加わっています)

Diversity and Inclusion って、人種国籍性別年齢、学歴経歴身体の特徴、といった、表面的な違いに取り組むのは、レベル1。部署・役割・職位の違いがレベル2。思考・行動の特徴の違い、保有能力の違いがレベル3。最終的には、一人一人が、唯一無二のかけがえのない一人の人である、というところにまで、肚に落とす必要があります。

とはいえ、海外からやってくる人々との間に発生するイライラも、たっぷり味わいました。バトルの数は、数しれず。それも財産です。

あの時、ほんとうは、どうすればよかったのか? それがわかったのは、LABプロファイル®やコーチングを学んでからでした。

あと、うちの両親は、極めて、ユニークな二人です。「そう来たか?」という視点で行動していますね。あの二人を、私は選んで生まれてきたわけで、今は、なるほどね~、って感じです。

なので、「世の中に新しい常識を作る」ということばが降りてきたとき、

あーこれだ、

と確信しました。

では、なぜ、4か月間、それを黙っていたのか?

答えは、

大それたコンセプトなので、気恥ずかしかった。

具体的に何をどうやるのか、ステップ1よりあとが、見えていなかった。

だから、言えないよね、と思っていた。

でも、スマホがない!事件から、

進め~、

のメッセージを受け取ったので、今、発表しています。

長くて申し訳ありません。あと少しで終わります。

では、ステップ1とは何か?

私がすでにやっている、コーチングです。

コーチングって、その人の中に、新しい常識を作る作業だと思うのです。

できないと思っていたことを、やる。

行けるはずない、と思っていた所に行く。

そして、やったことや、行った場所が、その人にとっての、新しいあたりまえ、つまり、常識になる。

コーチの仕事は、そのお手伝いです。

コアなメソッドは、こころの前提にある『ことば』ことばのパターン(カタチ)を扱う、LABプロファイルです。そこを変えれば、人は、変わります。

それと同時に、私の会社員時代の経験、病気の経験、親との葛藤の経験、人事の専門家としての経験など、人生で体験した、あらゆるデキゴトから得た知見と、学んだスキルを投入します。

私のボトムにあるメッセージは、自分の人生の主体者であれ です。人生の目的地に向かい、運転席に座って、ハンドルを握り続ける。

生きていれば、転ぶことだってあります。
立ち止まりもします。
泣きたいときもあります。

泣きたいときは、泣けばいい。

その時に、自分のハンドルを手放すのか、握っているのか、斜めや後ろを向いているのか、前を向いているのか?

この違いが、人生を分けます。

一度きりの人生です。どちらで行くかは、自分で決めればいい。

私が、1000人の方をコーチングして、全員がゴールを達成したら、最低でも、1000の新しい常識がうまれます。

そして、その1000人の方は、ご自身の周りにいる、多くの方々に、必ずや、新しい常識をもたらすでしょう。

その輪を広げるだけで、とてつもなく大きな、新常識が生まれます。

それをやっていけば、私独自の、「夏子さんオリジナル」な新常識を生んだり、コーチングの後の、ステップ2を明らかにしたり、するでしょう。

そこはまだ、反映分析中ですが、まず、始めよ、ってとこです。

そして、その先に何があるのか?

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よりよい世界 Better World です。
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これは、巣立った会社の戦略の中にあることばで、ある意味、パクリです。

私はそのことばが好きでした。

この世の中を、人々にとってよりよい場所にするんだ。人の人生を、もっと豊かなものにするんだ。幸せを増やすんだ。そのために、毎日、仕事をするんだ。

Making people’s lives better

というコンセプトに、共感していました。

好きで入って、好きで31年、い続けた会社の文化は、どのみち、私のDNAに入っています。なので、ことばをもらいました。

だから、私の一人会社の社名は、株式会社ベターワールドなのです。

そして、ロゴの、外側の大きな円は、陰陽の図とメビウスの帯をモチーフにしています。

陰と陽が連動し、一体となって、無限大に何かを作り出すイメージです。

水平の輪は、一つの幸せが、どんどん、外側に広がって、より大きな幸せが、世界中に次々と生まれるイメージです。輪が五つあるのは、五大陸です。

地球を愛で満たします。

ゴールは大きく、球の輝きを宇宙に届ける!!

その起点は誰か? 自分です。

デザインしてくださったのは、一級建築士で、パーソナルブランディングのプロデューサー、丸岡満美さんです。

満美さん、素敵なロゴをありがとうございます。

以上、坂本夏子の人生の目的、決意表明でした。

長文をお読みいただき、ありがとうございます。

陰陽に興味のある方は、こちらをご覧ください↓

「中医の教え」を書いています。

陰陽って何ですか?

陰陽は環境

坂本 夏子

人事コンサルタント
トランスフォメーショナル・コーチ®
LABプロファイル®
マスターコンサルタント