【飛躍のヒント】なぜ骨抜き作戦が成功したのか?

坂本夏子です。

きのうの続きです。

高校生のときに、
ひょんなきっかけから
教育勅語を自分で読み、
「書いてあることはまとも」と、
私は気づいたのでした。

とはいえ当時も今も、
教育勅語に、自動的に、
拒否反応する人がいるのも事実。

そしてここで、
伊勢先生の「和の国の教育」講座に
話は戻るのですが、

こんなエピソードがあったそうです。

平成30年(2018)のことです。

行方不明になった
2歳児を保護した男性に関して、

「自己中心社会にあって、
こうした無私の取り組みを
たたえるべき」

と文部科学大臣が言ったと。

メディアの記者が質問します。

「そうした無私の取り組みを広げるには
どうしたらよいのでしょうか?」

大臣:

「教育勅語はしごく真っ当」
「現代風に解釈され、
アレンジした形で、
道徳などに使うことができる分野は
十分にある」

すると野党は、

「言語道断。教育勅語は戦後、
日本国憲法と相いれないとして、
国会で排除・失効が決議されている」

その一方で、

安倍内閣は
こんな閣議決定をしてるんですね
(平成29年、2017)。

「(教育勅語を)
憲法や教育基本法等に反しない形で
教材として用いることまでは
否定されることではない」

つまり、これが政府の公式見解。

では敗戦後、どういう経緯で
教育勅語が否定されたのでしょうか?

戦後の日本を支配したのは、
連合国軍最高司令官
総司令部(GHQ)。
長(おさ)はダグラス・マッカーサー。

彼の意図は、
強い日本の精神を骨抜きにして、
二度と歯向かわない日本を
つくることでした。

天皇の命とひきかえに、
徹底的に日本らしさを破壊していきます。
今の憲法も、皇族(宮家)の数を
減らしたのも、その産物。

一時は柔道も剣道も書道も、
「道」とつくものは敵視されました。

そのあたりの経緯は、
西鋭夫氏の「真実の歴史講座」および
著書「国破れてマッカーサー」に
詳しいです。

伊勢先生の授業によると、

(高橋史郎氏
『総点検「戦後教育の実像」』による)

マッカーサーは吉田茂首相に
「新しい勅語をつくれ」と指示します。

すると、
マッカーサーの部下の
民間教育情報局、ヘンダーソン課長は、

「教育勅語自体、悪いものは何もない」
「軍国的狂信的愛国主義者が
彼らの宣伝を支持するよう、
勅語を『曲解』したことが問題」

と見解を示しました。

ところが、

民政局という別の部署の、
ウィリアムズ氏が、
衆参両院の文教委員長を呼び、
国会で教育勅語廃止決議をするよう、
強硬に申し入れたのです。

民政局というのが、
アメリカの ”左派の巣窟” だったそうで、

ウィリアムズさんの横やりが
とおります。

その結果、
教育勅語を排除する決議が、
国会においてなされました。
(昭和23年6月19日、1948)

ちなみに、
マッカーサーの父親は、
日露戦争当時の日本軍の
軍律の正しさに感動し、
マッカーサーは、
それを聞いて育ったとのこと。

勅語の精神が日本人に根付き、
よい結果をもたらした
実例ではないでしょうか。

さらに面白いことに、
アメリカでも、
教育勅語的な本が出版され、
3000万部のベストセラーに
なりました。

レーガン政権(1981-89)での
教育長官だった、
William J. Bennett
(ウィリアム・ベネット)氏による、
「The Book of Virtues」

「道徳読本」といった意味です。
第二の聖書と呼ばれたそうです。

そこで説かれている徳は、

Compassion 共感
Friendship 友情
Self-discipline 自己規律
Perseverance 忍耐
Faith 信仰、確信
Honesty 正直
Responsibility 責任
Work 勤勉
Loyalty 忠実
Courage 勇気

昨日のメールでお伝えした、
教育勅語にある、

親孝行、兄弟仲良く、夫婦仲睦まじく、
友を信頼し、周囲に愛を示し、
勉学に励み、手に職をつけ、
自己を律し、公のために活動し、
いざというときは勇気を出して
行動し、

などと共通しています。

やはり教育勅語は
明治天皇がそもそも言ったように、
人間の普遍的な ”あり方” を
示しています。

それが日本人の力の源泉だった。

そしてそれを、
GHQが去った
昭和27年(1952)以降も、
日本は葬ったままでいた。

GHQの「骨抜き大作戦」は、
見事、成功です。

作戦が成功したからこそ、
日本人は骨を抜かれたまま、
そうと気づかず、そこに安住した。

葬り続けたのは教育勅語だけでなく、
他にもたくさんあるわけで、
今、私たちは、
骨を抜かれたままでいるのか、
とり戻すのか、

その岐路に立っている。

….. ということを、
私はことし、たくさん考え、

それを、
伊勢先生の「和の国の教育」における
「教育勅語の普遍性」の
授業を受けて改めて実感しました。

そして、
授業を受けたその日の夜です。

講座の主催者から
感想を求めるアンケートが届き、
私は回答しました。

次回に続く。

ーーーーーーーーーーー
PS:
念のため。
私は教育勅語を復活させよと
主張しているわけではありません。

私のクセとして、
人から価値観やべき論を
押し付けられたくもないです。

だからこそ、
「私は何者で何を成すのか」と
「あり方」の軸を持ち、
それに従って、
主体的に自分の行動を選ぶ。
その上で人と連携する。

それがマイルールです。

自分も励みつつ、
そんな日本人が増えたら、
日本はもっと輝き、
世界をもっと照らすと
確信しております。

ではまた!

坂本 夏子

ことば屋

LABプロファイル®
マスターコンサルタント
トランスフォーメショナル
コーチ®

#450

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