坂本夏子です。
「江戸の日本は世界一」という
昨日のメールの最後で、
あと一回、
明治日本の教育について書きます
と私は言っておりました。
その前に、
大事な横道にそれます。
うちの母のことです。
面白いおばちゃんです。
昭和8年(1933)生まれの87歳。
小学校6年生で敗戦を迎えます。
戦時中・戦後の苦労話を
よくしてくれました。
子ども目線の実体験を
生き生きと語るのです。
笑ってしまうものもありました。
例えば、こんな話です。
当時の小学校には
奉安殿(ほうあんでん)という
小さな建物があり、
天皇陛下、皇后陛下の写真と
教育勅語が収められていた。
学校の始業式などの儀式のときは、
校長先生が黒いモーニングと白手袋の
いでたちで、
奉安殿からうやうやしく
教育勅語を取り出し、
校庭に並ぶ全校生徒に向かって、
「チンオモウニワガコーソコーソー
クニヲハジムルコトコーエンニ….」
と読みあげていた。
国語と歴史が得意な母の友人は
教育勅語を暗記していた。
(私も知っているおばちゃんです)
ほかにも、
親戚の軍人さんたちのこと、
その中には、
東京裁判でC級戦犯となり、
巣鴨で身柄を拘束された人も
いたこと、
頭上を通過した敵機230機が、
北九州の八幡を襲い、
それで親戚が亡くなったこと、
食糧難のこと、
何キロか先にあった
連合軍の捕虜収容所のこと、
村の雰囲気に染まらなかった
ヘンな祖父のこと、などなど。
私は興味深く聴きました。
そして、私が17歳、
高校2年生のときです。
母と親戚5人で
宮崎県の高千穂に旅行しました。
天岩戸神社(あまのいわと神社)
にも行きました。
天照大神が隠れた、
天岩戸という洞窟を
ご神体としている神社です。
そこの売店にあった、
一冊の文庫本が私の目にとまりました。
明治天皇・昭憲皇太后ご夫妻の
詠まれた和歌が収められていて、
冒頭のページには教育勅語が
載っています。
原文と現代語訳がともに。
これがあの教育勅語か~
と大ヒット。
私はお小遣いでその本を買い、
熱心に読みました。
この、
明治23年に明治天皇が発した
教育の指針には、
いいことがたくさん書かれて
いました。
親に孝行しよう。
兄弟は仲良くしよう。
夫婦は仲睦まじく。
友達とは信頼し合おう。
自己を律しよう。
他人に愛を示そう。
学問を修めよう。
手に職をつけよう。
徳と才能を磨こう。
人格の向上に励もう。
社会のために活動しよう。
憲法と法律を守ろう。
もしものときは、勇気をもって、
公のために行動しよう。
などなど。
最後には、
このような心を
日本人は海外との付き合いでも、
普遍的なものとして実践しよう、
一人一人が、それぞれの持ち場で
具体的な行動によって示そう、
私もみなさんと一緒にそうする、
と書かれています。
もちろん、
明治時代のものですので、
天皇が君主である国が描かれていて、
今の日本でこのまま使うのは
ムリがあるかもしれないけれど、
書いてあること自体は、
まともだよね、
と17歳の私は思いました。
それを母に伝えたら、
「そのとおり」
と言っていました。
そして私は、
母のお友達と同じように、
教育勅語を丸暗記しました。
ずっと90%くらい覚えていて、
今日、再び100%に戻しました。
教育勅語はもともと、
明治天皇が、
当時の急速な近代化(=西欧化)を
懸念し、
このままでは国がおかしくなる、
日本人にはこうあってほしい、
という希望を述べたものです。
戦後 GHQ が廃止しましたが、
現代の企業経営でいえば、
会社の歴史に立脚し、
社長が社員に示す
行動指針にあたります。
ではこれが、
昨日までの、
伊勢先生の「和の国の教育」と
どう関係があるのか?
近隣諸国への私の葛藤と
どう関係があるのか?
最後は着地しますので、続けます。
<参考>
教育勅語の原文と現代語訳
明治神宮のサイトです。
訳は私が読んだものとは
異なりますが、
実物の画像がいいので、
載せます。
ではまた!
坂本 夏子
ことば屋
LABプロファイル®
マスターコンサルタント
トランスフォーメショナル
コーチ®
#449