【飛躍のヒント】日本を救ったスリランカ大統領

坂本夏子です。

きのう、
人生と日本をよりよくする勉強会
を挙行いたしました。

自分や身近な人と
日本のことをともに大切に思う方々が、
日本各地から集まってくださり、
終わったのは予定を1時間過ぎた、
夜10時でした。

ご参加いただいたみなさま、
ありがとうございます!

その中で、日本について
同じような体験をした方がいて、
今日はそれをテーマにします。

以前は日本が嫌いだったけど、
その後、変化したというものです。

お一人は、学校で
「日本はアジアを侵略した悪い国」
と習ったので、
そのイメージがあったそうです。

どのようにそれが変わったかというと、
お父様が亡くなったのが
きっかけだったとのこと。

人間はいつまでも生きられない、
と悟り、先延ばしにしていたことを
やり出したそうです。

ダイエットしたり、
英語の勉強をしたり。

それまでは ”右翼が行くところ”
と思って避けていた、
靖国神社にも行ったそうです。

そして、

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19歳、20歳の若者が家族
に国のためだから悲しまないでと
遺書を残して散っていった、
彼らが残そうとした日本は
これで良いと胸を張れるのだろうか
==============

と問いかけるようになったとの
ことでした。

しみじみと、いい話だなと
思いました。

もうお一人は、
自信を持っていない大人を見て、
日本が嫌いだったとのこと。

そしてある時、
日本が戦後、主権をとり戻した
1951年(昭和26年)の
サンフランシスコ講和会議において、
スリランカ(当時はセイロン)の
大統領が日本を救う演説を
したことを知ったのです。

その方は、
スリランカに縁のある仕事をされていて、
日本をそんなふうに思ってくれた
スリランカ人がいたと知り、
日本への見方が変わったそうです。

私はそのことを初めて知りました。

偶然にも、その方も、
私が先月末にご紹介していた、
伊勢雅臣さんのブログをご存知で、

そこでスリランカの大統領の
記事を読んだとのこと。

たくさんあるスリランカ記事の中の
一つを、今日、私も読みましたので、
一部をご紹介します。

じーんとくる話です。

国際派日本人養成講座
No.1168 戦後日本に希望の光を
与えてくれたジャヤワルダナ大統領 より


(写真:ウィキペディア)

日本陸軍は、
マレーシア、シンガポールの戦闘で
イギリス軍に所属していた
インドの兵隊が投降したあと、
彼らを指導して、
インド独立を後押しする
インド国民軍を編成します。

その中にスリランカ人の
スリランカ部隊もありました。

その隊長であったススリパーラ・
デ・シルバ氏は、
こう証言しています。[桜の花、1704]

==============

日本が緒戦においてイギリスなどを
打ち負かす姿を見たために、
今まで植民地だった国の人々は
変わったのです。

もう、支配される者などではなくなったのでした。

それ故に、日本の敗戦後も
インドは戦いを続けて独立を勝ち取り、
スリランカでも後の初代首相となる
セナナヤケ達が独立を求め続け、

ついにはイギリスの
グロスター公爵がやって来て、
スリランカの独立を承認したのでした。

もし、日本という存在がなかったら、
私達は今でもイギリスに
支配されていたでしょうし、
東南アジアの国々も
独立を果たしてはいなかったでしょう。
[桜の花、1704]

==============

そして、1947年、
インドはイギリスから独立し、
半年後にスリランカも独立しました。

その後、
1951年のサンフランシスコ
講和会議で、スリランカ大統領の
ジャヤワルダナ氏が、
歴史的な演説を行ったのです。

==============

アジアの諸国民が、
日本は自由でなければならないと、
かたずをのんで見守っているのは
なぜでしょうか。

それは、
われわれアジアの諸国と日本との
間には、
長い間続いてきた深い関係が
あるからであります。

また、アジア諸国の中で、
日本だけが独り強力にして
しかも自由で、
そのためにわれわれは日本を、
保護者であり、また友であるとして
見上げていたからであり、そして、
アジアの隷従人民が
日本に対して抱いてきた
高い尊敬のためであります。[野口、p99]

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最終的に、ジャヤワルダナ氏は、
日本への損害賠償の請求権を
放棄するとして、こう述べます。

==============

しかし、われわれは、
その権利を主張して賠償させようと
いうつもりはありません。

なぜなら、われわれは、
アジアの限りなく多くの人々の
生き方を気高いものにした、
あの偉大な教導師の言葉、

「憎しみは憎しみによって
消え去るものではなく、
ただ愛によってのみ消え去るものである」

という言葉を信ずるからであります。
これは、仏教の創始者である
ブッダの言葉であります。[野口、p101]

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伊勢氏は言います。

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この気高い言葉が
満場の各国代表の心を打ったのでしょう。
現地紙「サン・フランシスコ・
エグザミナ」はこう論評しています。

重んじられることなどは
めったになさそうなセイロン島から来た
褐色のハンサムな外交官が、
今日忘れ去られようとしている国家間の、
礼儀と節度と寛容の精神を
声高らかに説いた。[野口、p108]

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サンフランシスコ講和会議とは、
日本と、敵だったアメリカ、英国、
ソ連をはじめとする51か国の
代表による会議です。

その中で、小国スリランカの代表が、
かくも気高い演説を行ったとは。

私自身は、日本のことをずっと
好きでしたが、あの戦争については、

バカな戦争をやったよね、
侵略の意図も、そりゃーあったでしょう、

と思っていました。

でも、アジア各地には、
日本を通して西欧の植民地から
抜け出し、独立を果たし、
感謝された事実もあったことを、
今年スリランカ以外にも知り、

日本とアジアを見る目が変わりました。

だからこそ、私たちが、
どんなよりよい日本をつくり、
残すのかが大事だな、と思います。

伊勢氏の記事には、
昭和天皇とスリランカ大統領との
心あたたまるエピソードも出てきます。

全文を読むと、あなたの心も
さらに暖かくなるかもしれません↓↓↓

2020/6/7
国際派日本人養成講座
No.1168 戦後日本に希望の光を
与えてくれたジャヤワルダナ大統領

ではまた!

坂本 夏子

ことば屋

LABプロファイル®
マスターコンサルタント
トランスフォーメショナル
コーチ®

#458

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