【飛躍のヒント】愚者ですらなかった私

坂本夏子です。

この二日間、
愚者は経験に学び、
賢者は歴史に学ぶ話をしてきました。

賢者に焦点をあてましたので、
今回は愚者をテーマにします。

もっと正確にいうと、
私が愚者ですらなかったときの
お話をいたします。

名付けて ”暗黒の2年間”。

日本というより人生よりの物語です。

今から15年ほど前、
44歳か、45歳の頃です。

会社の仕事で、
破格に大きな過ちを犯しました。

人がからむ生々しい話なので、
詳しいことは控えますが、
派手にやっちゃったわけです。

当時、私は、
アメリカに拠点のある会社の日本法人で、
人事部のマネージャーでした。
4年にわたる東京勤務を終え、
広島に戻った翌年です。

コーチングもLABプロファイルも
潜在意識のことも知らず、
自分の限られた智恵のみで
ひたすら仕事をしていました。

担当分野が二つあり、

1)日本で採用された社員のための仕事

および

2)海外から日本法人に派遣された
社員のための仕事

でした。

そんなとき、
2)の分野の、
とあるプロジェクトで、
大きな決断をする必要が生じるのです。

選択肢は複数あったものの、
どれも、しっくりこない。

かといって、
決断しないわけにはいかない。

悩んだあげく、A案にしました。

その時、私の右腕だった部下が、
A案への懸念を口にしていましたが、
私の決断はA案でした。

A案でスタートして3日後。

「ん? おかしいな」

と気づきます。

2週間後。

「あ、間違った」

と確信します。

その時点で引き返す決断をしたなら、
まだ余裕はありました。
でも、そのふんぎりはつかなかった….。

3ヶ月近くたちました。

状況はどんどん悪くなります。
(まるで太平洋戦争)

引き返す
ギリギリ最後のタイミングが3か月。

東京にいた上司に、
撤退の相談をもちかけると、

「そんなこと
できるわけないじゃないですか~!」

ダメか………..。

そこから先は、
日々、状況は悪化し、
やることなすこと、
すべて裏目に出ます。

私は毎日、怒っていました。

怒りは、まず、
私の望む結果を出さない担当者に
向きます。

怒鳴る日々。

ほとんどパワハラです。

それと同時に、
その状況を引き起こした自分のことも、
心の中で責めていました。

怒りながら、
A案への懸念を口にしていた
右腕メンバーと、
毎日、対策会議をし、
毎日、二人でタメ息。

「だから言わんこっちゃないです」
「私は反対しましたよね」

なんてことは一言も言わず、
彼女はチームと私を支えてくれました。

そして、
プロジェクトスタートから半年後、
私は、最初の決断をします。

理想の解決策ではないけれど、
”やらないよりはマシ” な
最善策を練り、
誰にも言わず、一人で実行しました。

かなりリスクの高い策。
”しくじったらクビ” を覚悟の上です。

自分の不始末に
自分で片を付けたかったんですよね。

そして、
状況を少しでも好転させたかった。

幸い、うまくいきました。

上司に事後報告すると驚き、

「坂本さん、
それ、いつやったんですか?!」

私の説明を聞いて、苦笑い。

とはいえ、
暗闇のトンネルは続き、
相変わらず怒鳴りとタメ息の日々。

続きは次回。

ではまた!

坂本 夏子

ことば屋

LABプロファイル®
マスターコンサルタント
トランスフォーメショナル
コーチ®

#461

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