坂本夏子です。
金曜日にお届けした
マトリョーシカのお話ですが、
読まれましたか?
これです。
コタツで私の足にあたった
母のロシア人形の話に、
読者さんより深いコメントを
いただきました。
ご紹介しますね。
マミさん(仮名)
あけましておめでとうございます。
うちにも灰色の猫の
マトリョーシカがいます。
最近常々、すべてはフラクタルに
起こっていることを感じていたので、
マトリョーシカもフラクタルだ!
とおもいました。
自分の内側で起きていることが、
外側に増幅されて起きていくような。
内側にないことは外側にもないので、
嫌だなあ~って思うことは
きっと自分の中にあるんでしょう。
全くないものは目にすることもなく、
自分の世界には存在しない。
いやだな~と思うことは、
「これは自分のなかにあるんだな」
と認めて
嫌だったね~、こわかったね~、
ごめんなさい、
でももうだいじょうぶ、
ありがとうって
書き換えていくしかないか、
と地道に内側と向き合いながら
今年は深化して進化する年に
しようと思います。
「すでにある」ことに感謝して、
持っているちからを誰かのために使う。
使えば使うほどなんだか
増幅していきそうです。
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で、フラクタルとは?
「コトバンク」というサイトの
”大辞林 第三版の解説”
という記事からコピペすると、、、
「部分が全体と相似(自己相似)
となるような図形。
雲の形など自然の中の複雑な図形に
見出せるほか、
コンピューターグラフィックスを
用いて表現される。
1960年代に
数学者マンデルブローにより
新しい幾何学の概念として
導入された。」
なるほど~。
部分が全体と同じような形を
しているのがポイントですね。
確かにマトリョーシカはそうですし、
こんなのもありますね。
これも。
そして、
マミさんのコメントにあった
「内側にないものは外側にもない」
という概念。
まさにそのとおりだと思います。
内側にあるから、それが外に出る。
あるいは、
外にそれがあることが、わかる。
自分の中に、美しいものがあれば、
外にある「美」を見いだす。
自分の中に醜いものがあれば、
外にある「醜さ」に気づく。
だったら、
何かを醜いと感じた時、
自分の中の何がそう感じさせるのか、
と問えばいい。
記憶?
体験?
思い込み?
信じ込み?
そして、
あー、あれか~ と気づいたら、
あー、そうだったんだね、
と認めて、感謝して、
これからはこうする、って、
自分で決めればいい。
そうすると、
その「醜い」と感じていたことすら、
「美」のスタートだったと気づく。
そうやって、
自分も周りも一緒に進化していく。
そう考えると、
美にとどまらず、
善、信、愛、仁、誠、生
などなど、
なんでもありですね。
マミさん、ありがとうございます!
あなたの中の、
増幅させるべき「○」のネタって
何ですか?
ではまた!
坂本 夏子
ことば屋&人事屋
LABプロファイル®
マスターコンサルタント
トランスフォーメショナル
コーチ®
人事コンサルタント